自分は、アウトドアが趣味で、その中には、ハイキング程度の
軽い山登りというのも含まれていた。
自分が登った山で一番高かったのは、埼玉と東京の県境にある
棒の折れ山996メートル。
1000メートルをいかない山。
高校時代から、これまでに6~7回登った山ではないだろうか。
あるとき、1000メートル以上の山にも登ってみたいと思った
ことがある。
棒の折れ山の近く、埼玉県の名栗村に、蕨山というちょっと今、手元に
本を持ってくるのをめんどさがっており・・・・正確な数字はわからないが、
1000メートルをほんの少し超えた山がある。
なんでも、のぼりはきついが、下りは、ゆるく、周囲の風景を楽しみつつ
・・・広葉樹の森を楽しみつつ、トレッキングできるとガイドブックにあったので、
あこがれていたのだ。
途中、湧き水が流れている場所をみつけたので、2度、3度、そこで水を補給し、
頂上をめざしたのだが、その先には、ロッククライミングのようなものすごい急なのぼりが
あり、そこでギブアップし、来た道をもどっていった・・・
3回目のときに、なんとか、その岩のぼりをクリアし、頂上を目の
前にしたのだが、急に下り、さらに急に登らないと頂上にはいけず、
残った体力と相談し、あきらめたのである。
すぐ目の前に頂上は見えていたのに・・・
なんというか、今日は、ナレーション録音を終え、
帰宅後、あまりに疲れていたので、スーパー銭湯へと
向かったのだが、車の中で、その登山のことを思い出していた。
自分はいつもそうだったのではないだろうかと・・
ある程度、まずまずのところまで行くのだが、頂点をきわめずして、
ギブアップするという人生であった。
たとえば、東西ドイツが統一したときに、自分はまっさきに東ドイツへのりこんでいき、
フランクフルトからドレスデンへと続く「ゲーテー街道」を数回にわたって旅し、
写真や資料を集める中、「ゲーテ街道の旅」という本をだそうとかなり一生懸命に
なっていた。
壁が壊れ、旅行者がだんだんと増えている頃だったので、その一冊は執筆する
価値があると、秘密のうちにすすめていたのである。
ところが、あるとき、書店に行くと、「ゲーテ街道の旅」という本が・・・
それを見て、もちろん、執筆をあきらめた。
つまり、やることがおそかったのである。
東京と神奈川のラーメン食べ歩きの本はたくさんでているのに、
なぜかしら、千葉県のラーメンにスポットがあたっていない。
自分は、今度は、船橋から、成田へと続く京成本線各駅停車ラーメンの
旅という趣味をスタートした。
「京成本線ラーメンの旅」というサイトは、ある時期からアクセス数が急増し、
千葉県のラーメンファンにそれなりに楽しんでいただけたのではと自負している。
このサイトは、ラーメンだけではなく、B級グルメ・・・カレー、チャーハン、
菓子パン、その他を含み、千葉B級グルメの即時発信的情報サイトともなっており、
またオタク的なアプローチではなく、チェーン、フランチャイズにおされ
なくなっていく昭和の時代からずっと地域に愛され続いてきた店>にスポットをあてて、
昔の話なども取材するなか、昭和食文化の原風景をたどっていく旅をつづってきた。
サイトに併設された「船橋ラーメン逍遥紀」もリピーターの数を増やしつつ、
コメント書き込みされたお店を自分が訪ねていって記事を書くという、
こちらとしても、なにやら楽しい展開となっていたのである。
私は、このサイトにて、自分の存在を知ってもらい、秘密にしていたのだが、
「千葉のラーメン・チャーハン・カレー100連発」という本を出そうと計画していた。
師とあおいでいたのは、故大門八郎先生であり、大門さんの「ラーメン本」を
理想モデルとして、執筆しようとしていた。
職業柄、写真は得意ときているから、プロ用の機材を持ち込んで写真も
溜め込んでいたのである。
ところが、サイトに私が書いた記事はどんどんと盗まれ、利用され、そして、
ここには書けない不愉快なことも生じ、いよいよ成田方面までと
いうところで、このサイトは突然、削除という悲惨な結果に終わったのである。
(応援してくれていた方には申し訳ないことをしてしまった)
私が21年間、つきあってきた<演劇>は、どうなのだろうか?
30日間にわたり、40ほどの演目を3人で分担し撮影し、
今はその仕事の最終段階。・・・頂上まぢか・・・
日韓には、もううんざりということで、はやくこの仕事を終わらせようとしているのだけど、
いつまでも続いている。
もちろん、終わりが大切。
少しも手を抜かずに編集を続けている。
で、できあがったものをなんとか次のステップに活用できないかと考えているのである。
でも次のステップとはなんだろう?
二つの気持ちがかさなりあい、自分は、揺れている。
ひとつは、秩父の自然にもどっていこうという気持ち。
田舎で暮らしていたときには、もう少し人間的な
生活ができていた・・・
それとそんなに仕事にひっちゃきにならず、またただ自分の趣味として
「京成本線ラーメンの旅」・・・旅の途中から再スタートして、そっちを楽しみたいという気持ち。
いろいろと、昔の自分にもどっていく気持ち・・・・
もうひとつは舞台芸術専門スタッフというこの仕事をなんとか成果にむすびつけるまでは、
戦っていくべきという気持ち・・・
なんだか、そんなことをぐだぐだと考えつつ、運転し、帰宅した。
結局、後者を選ぶのは・・・わかっているのだけど、いったんはぐだぐだ言いたかった、
考えたかったのだろう。